「CURE」(黒沢清・1997)自明性の喪失

黒沢清監督出世作、傑作サスペンス・ホラーの「CURE」を観ました。

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「高部」刑事役の役所広司さんと催眠術師「間宮」役の荻原聖人さんの鬼気迫る迫真の演技と、なんとも張り詰めるような緊迫したスタイリシュな撮影技法に息を呑みます。

この映画解説やなんかはインターネットを探せばいくらでもあるんで、それはいいとして、私は間宮の複雑なパーソナリティがわかる気がします。間宮は武蔵野医科大学の精神医学科の学生という設定になっています。授業にも殆ど出ないで廃棄処理上場の住み込みバイトをしながらメスメリズム(催眠術)の研究をします。しかし、何がきっかけかはわかりませんが間宮自体が精神障害となり記憶障害を被ってしまいます。終始繰り広げられる間宮のなめ切った態度、人を苛立たせる話し方というのは作品の設定かもしれませんがわかる気がします。

わかるというのは、ある種の研究者的なパーソナリティを持つ人はこうした俗世を超越して舐めきった感じの言葉を使います(衒学的とは少し違います)ちょっとペースがぶっ飛んで飄々とした感じで浮き世離れした感覚です。それがうまく表現されているのでなんだかリアリティと恐怖が炙り出されるように表現されていたと感じました。

ある種の自明性の喪失というのがそうでしょうね。

人間には、もともと自明性と非自明性とのあいだの弁証法的な運動がそなわっている。疑問をもつということは、われわれの現存在を統合しているひとつの契機である。ただしそれは適度の分量の場合にかぎられる。分裂病者ではこの疑問が過度なものになり、現存在の基盤を掘り崩し、遂には現存在を解体してしまいそうな事態となって、分裂病者はこの疑問のために根底から危機にさらされることになる。分裂病者を危機にさらすもの、それは反面、われわれの実存の本質に属しているものである。だからこそ分裂病はとりわけ人間的な病気であるように思われるのである。

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CURE

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自明性の喪失―分裂病の現象学

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