酒井邦秀「どうして英語が使えない?」ちくま学芸文庫

 ちくま学芸文庫の「どうして英語が使えない?」を読みました。

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今日の朝、突然飛騨高山の鍾乳洞に行きたいなと思いたち、切符売り場にいったのですが最速で予約なしの場合10時30分からの高速バスになりますといわれ、その時7時30分

仕方がなしにドトールで暇をつぶすかとアイス珈琲を飲みながら、この本を読んでいました。

速読癖のある私にとっては、なんとも実感を持ってよく分かる話でした。

文字を逐次的に読む人というのは、読むのが遅いし、内容を理解できないということがあります。文字や文章はあくまで内容を伝えるための手段にしか過ぎないので、そのブロックで何が言いたいかというのが伝われば文章としては成功です。

さて、本題です。本書は学校英語、特に辞書を利用した英語学習を批判します。

例えばの話「water」という単語があります。これは英和辞書で引くと水と訳しますが、実はそれは正確ではないのです。むしろこれは「液状のなにか」と言ったほうが良いかも知れません。英語の意味と日本語の意味を無理に一対一対応にしようとするとそうした誤訳がおきます。もしかしたらギリシャの自然哲学者タレスが「万物の根源は水である。」と考えたのも誤訳かもしれません。もしかしたら「液状のなにか」というのが正しい訳かもしれないのです。

また、英語の発音に関しても単語一つ一つで区切って考えるのも正しくはありません。英語の音は単語毎に発音されるものではないからです。

ことほど左様に、学校英語は機械的人工言語であって、英語で中身を伝えるための道具として機能していないという事です。これには思い当たる節があります。いくら英語を勉強しても、英語で伝えるだけの中身や人生経験がないと、言葉だけ立派で意識が高いだけの人になってしまう…という問題です。これは勉強ごと全般に言えます。勉強ごとというのは、あくまで表現と思考の手段であって、実生活に勉強が活かせなければなんの意味もないということです。

よくESLの教材なんかは英語圏で生活する非英語話者のための教材であって生活に役立てる機会がないと使い物にならないといいます。

本書でも、実践的な解決として、

英語の本をたくさん読むこと、英語の映画をみること、英語のゲームをやること

と言っています。

単語カードをガリガリ書いているより、楽しくやっていれば万事オーケーってこと。

 

 

どうして英語が使えない?―「学校英語」につける薬 (ちくま学芸文庫)

どうして英語が使えない?―「学校英語」につける薬 (ちくま学芸文庫)